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東京高等裁判所 昭和32年(く)23号 決定

抗告人 被告人 高木光士

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由の要領は

昭和三十二年一月二十九日東京地方裁判所裁判官高原富蔵は抗告申立人に対し勾留更新決定をしたが、同裁判官に対し抗告申立人は忌避の特別抗告事件及び別因による忌避申立事件があつて、それぞれ最高裁判所及び東京地方裁判所に於て審理中である。もつとも抗告申立人の右忌避申立は最高裁判所には昭和三十一年十一月十七日に、東京地方裁判所には同月二十七日に為されたもので、その後同年十二月二十四日右忌避申立条件附取下書を最高裁判所及び東京地方裁判所に提出し、更に続いて昭和三十二年一月中旬にも再度条件附取下書を提出しているけれど、忌避申立事件は依然審理中と解せられ、取下になつたものではない。少くとも東京地方裁判所には忌避申立事件が係属中である。高原裁判官は忌避事件について何らかの決定あるまで、抗告申立人の裁判に関与すべきではなく、同裁判官には抗告申立人の勾留更新の裁判をする権限がないに拘らず、権限のない裁判官の発した令状により勾留せられるのは違法である。

というのである。

よつて記録を調査するに、抗告人は昭和三十年十二月十四日私文書偽造等の罪名で東京地方裁判所裁判官の発した勾留状の執行を受け、同月二十七日東京地方裁判所に私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載、同行使罪として起訴され引続いて勾留されていたが、昭和三十一年四月十七日保釈許可決定により釈放されたところ、保釈の指定条件に違反したため、検察官の請求により同年九月二十五日保釈取消決定がなされ、即日勾留せられ、爾来同年九月二十九日、十月二十九日、十一月二十九日、十二月二十七日と四回にわたる勾留更新決定がなされ、更に昭和三十二年一月二十八日東京地方裁判所裁判官高原富蔵が抗告人に対する勾留更新決定をしていること、これより先抗告人は昭和三十一年八月十五日前記被告事件の審理を担当する裁判官高原富蔵に対する忌避申立書を東京地方裁判所に提出し、同年九月十二日忌避申立が却下されるや直ちに東京高等裁判所に即時抗告を申立て、同年十月二日即時抗告棄却となると同裁判所に抗告棄却決定に対し異議申立をなし、これが不適法として却下された後昭和三十一年十一月十七日最高裁判所に特別抗告をするかたわら、高原裁判官が抗告人に対する被告事件の公判期日を指定し、抗告人を召喚したことが不当で偏頗の裁判を為す虞があるものとし、再度東京地方裁判所に高原裁判官忌避の申立をしていたが、同年十二月二十四日最高裁判所に特別抗告取下書を、東京地方裁判所に裁判官忌避申立取下書を提出したことが認められる。もつとも右特別抗告取下書及び裁判官忌避申立取下書には宮本達一外三名の再召喚を条件とし、特別抗告又は忌避申立を留保するという記載が存するのである。しかし訴訟行為には原則として条件を附することは許されないもので、条件附に上訴の取下がなされた場合は、その条件を無効とし、無条件の取下があつたものと解するのが相当である。証人の再召喚が許されることを条件とし忌避申立又は特別抗告を留保するということには、忌避申立又は特別抗告をしないとの意思即ち抗告人からなされている裁判官忌避申立又は特別抗告を取下げるとの意思が明らかに表明されていると認められるから、その条件の部分を無効と解し、何らの条件をつけてない忌避申立又は特別抗告の取下があつたといわなければならない。

記録に徴すると最高裁判所は抗告人の特別抗告事件が昭和三十一年十二月二十四日終局したものとして取扱つているし、東京地方裁判所が抗告人の再度の裁判官忌避申立に対する取扱も同様である。してみれば、高原裁判官に対する忌避申立がなお裁判所に係属中であるとし、同裁判官がした勾留更新決定を不当であるとする論旨は、その前提に於いて失当で、抗告人の最初の忌避申立が理由がないとして棄却され、即時抗告や異議申立さえしてそれが理由がないとして棄却或いは不適法として却下され、最終的には特別抗告取下によつて、東京地方裁判所の忌避申立を棄却する決定が確定しているところであるから高原裁判官が抗告人に対し勾留更新決定をしたことが不当視される理由がない。所論は独自の見解に基いて同裁判所が昭和三十二年一月二十八日附でなした勾留更新決定(論旨に一月二十九日とあるのは誤記と認める)を非難するもので採用できない。

よつて本件抗告は理由がないから、刑事訴訟法第四百二十六条第一項により主文のとおり決定する。

(裁判長判事 加納駿平 判事 吉田作穂 判事 山岸薫一)

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